beautyfulll’s blog

日々で感じたこと、思ったことなど、綴ります。

「完全なもの」を「美しい」とするならば。

「美しい」とは「完全なもの」だけを指す。

今日の【らんまん】のセリフの一部。

 

最近、

 

これまでも、今も、これからも。

わたしは「○○○○(本名フルネーム)」として完全体である

わたしは「○○○○」として完璧な凸凹を持つ存在である

 

そんな風に思っていたところに、このセリフ。

 

 

( ゚д゚)ハッ!と気付いた。

 

そうか!

わたしは「○○○○」として完全な存在。

 

「完全なもの」を「美しい」と定義するならば。

 

その存在を創り上げるのに必要な素材を

過不足なく必要なだけ持ち合わせている、

そんなわたしは、

「完全なもの」であるから、

「○○○○」という存在として

わたしは「美しい」。

 

そう、捉えられる。

捉えられるじゃん!!!

 

 

あー、そうか。

そういう意味でも、

わたしはすでに「美しい」んだ。

自信について(西村宏堂さん出演の番組より)

この間

林先生の番組に

西村宏堂さんが出演されてて。

 

この間の紅白の審査員をされていた時に

初めて拝見した方で。

どんな方なのか、よく知らなかったのですが。

 

幸せになるために…という

お話が聞けるということで、

見ていました。

 

 

いろんななるほどがありましたが、

一番はっとしたのが

「自信」には2種類あって、

できるできないという「能力への自信」

自分のことを知っているという自信

→「自分という人間を信じられるか?」

という2つがあると思う。

というお話でした。

 

 

自分はこういう人間である、ということを

知っていることが

自分を信じることに繋がる…

 

最初はよく飲み込めなかったのですが。

(言葉としては、

何度も聞いたことがあったけれど、

よく意味がわからなかったのです。)

 

 

番組を見た後、後日、

台所で洗い物をしていた時に、ふと、

 

*****

信じるの反対は〈疑う〉だよね。

だとしたら、

自分への疑いが無くなる

=自分を信じる、ということかしら?

…!!!

ああ!そうか!

 

自分のことを知っている

自分はどういう特徴(凸凹、性質、キャラクター等言い方はいろいろあるね)を持っているのかを知っている

自分のことがよくわからない…は、自分を疑うことに繋がっているから、

自分を知る→

自分がどんな人間なのかがわかる→

自分という人間に対しての疑い(わたしは何者か?)が無くなる→

=自分という存在を信じられる。

…ってことか!!

 

自分の持っている性質がわかっていれば、

どうしてこんなことをしてしまうんだろう…?

どうしてこうなってしまうんだろう…?

どうしてこれがうまくできないんだろう…?

そういう自分への疑い(責めにも近いけど)は、

絶対に減る。

自分という存在に対する疑いは、絶対に減る。

それが、つまり、

自分という人間を信じることができるようになる、という意味での「自信」になる。

 

なるほど!

そういうことか!

*****

と気が付きました。

 

だとしたら。

だとしたら。

わたし、自信持てるかも。

自分がどういう人間なのか、

わたし、知りつつあるもの。

自信、持ってみていいのかも。

…そんな風に思いました。

 

 

あいにく、

西村さんの書籍は拝読していないので、

書籍にはこのことについて詳しく書いてあるのかもしれないけれど。

 

自分の中では、

目から鱗な感じだったので、

記録しておきます。

人と繋がるということを勘違いしてきた話。

今日はもうひと記事。

 

わたしの話を聞いてほしい。

その望みを

無意識に叶えようとしていたことを

一つ前の記事で書いたけど。

 

 

それを

わたしは

カウンセラーなどの、

話を聞くことを生業としている人に

お金を払って、

あるいは

どうにかして近付いて、

聞いてもらっていました。

 

その人たちは

(お仕事だから)安心して聞いてくれると

わかっていたから。

 

そして

わたしがチョイスする人は、

ブログなどで見つけた

いつもの生活圏の外側の人たち、でした。

 

そんな風に

誰かと出会う機会は作っていたし、

誰かと繋がろうとしてきた。

…つもりだったのだけれど。

 

 

実は、

違っていたのかも。

 

わたしがしてきたことは

ただ安心して話を聞いてくれる人を

求めていただけで。

人と繋がる行動ではなかった。

(関係として繋がった人達も、

もちろんいる。

でも、それは、

本当に求めていた繋がりか?と聞かれたら、

ほとんどはそうではない、と思う。)

 

そして、

その行動は、イコール、

本来自分が生活している世界の人達と

繋がることを

避けていただけ、

本当に繋がるべき人達を

選ばないできただけなのかもしれない…?

…と、ふと思った。

 

 

とある瞑想会に参加した時の

誘導瞑想の内容が

この気付きに繋がったのでした。

 

 

そしたら、

 

ああ…そうか…

わたしは

日々生活をしている今ここで、

人と繋がることをやっていく必要があるのかも。

 

と、ふと思いまして。

 

ずっと、ずーっと、

やってこなかったことだ。

そして、

やるといいこと…な、気がする。

 

ので、やっていこうと思う。

うん。

話を聞いてもらいたかったわたし。

わたしはずっと

「わたしの話を聞いてほしい」

と思っていた、みたい。

 

みたい、というのは

自覚があまりなかったから。

 

 

わたしが誰かに「会いたい」と思うのは

その人に会いたい

それだけだ。

…と、意識では思っていた。

 

だけど、

とあるカウンセラーさんと話をする中で、

その「会いたい」は、

「安心して話を聞いてほしい」から

なのでは?と、指摘された。

 

指摘されたとき

意識ではそんなことない!と思って、

すごく抵抗したのだけど。

それは、ただの図星だった。

とてもとても恥ずかしかった。

 

その後落ち着いてみたら、

ああ、そうだったのか…と思った。

 

わたしは

ただ

話を聞いてほしい

そう、思ってきたんだ。

 

そんな風に思ってこなかった、

むしろ

聞いてほしい時は聞いて〜!と言えていると

思っていたくらいだから、

 

無意識に、

(自分に対しては)綺麗に塗装をしながら

それを他者に要求していたことが

未熟だな…卑怯だな…クレクレじゃん…と、

とてもとても恥ずかしかったけれど。

 

 

気が付いたら、変えられる。

やっていることに気が付けば、

違う選択ができる。

気が付かないことは、変えようがないから。

 

やってきてしまったことは

変えられないけれど。

これからのことは、

変えられる。

 

 

だから、

誰かに、会いたい!と思った時。

お相手が、人の話を聞くことを

生業としている人

(カウンセラー、コーチ、コンサルタント等)

の場合は特に。

イコール

【わたしは誰かに話を聞いてもらいたいと

思っているんだ】

という認識で

自分を捉え直してみようと思う。

完璧でないわたしを、信頼してみる。

もう

流れは変わっている。

 

前のわたしとは

違う未来を歩いている。

 

そう。

もう変わっているんだ。

 

それを

「本当かな?」

「本当に本当かな?」

「望む未来を、わたしは手に入れられるのかな?」

…そうやって、疑っているのは、

わたし自身。

 

 

その自分への疑いが

望みが叶うこと、夢が適うことを

せき止めているのかもしれない。

 

自分への疑いを手放したら

わたしの人生に

大きな変化が流れ込んでくる

…ような気がする。

(変化してしまうことが怖い…のかな…

 だから、自分への疑いをぎゅうって握っているのかも…。)

 

 

 

そういえば、

わたしの口癖の一つが

「自分が一番信用できない。」

だわ。

 

 

その言葉は

「私は間違えるから」

「私は失敗するから」

「私はできないから」

などなど

要するに

「私は完璧ではないから」

ということを表しているのだけれど。

 

 

…人間誰しも

完璧にはなりようがない…のでは?

と、これを書きながら気が付く。

 

完璧でない=信用できない

って、だいぶ乱暴な話かも。

 

それに

完璧でなくても

信頼することはできるんじゃないか?

と気付く。

 

 

わたしを信頼する。

やってみようかな。

その好きを、自分に許す。

わたしは

金星星座が天秤座なのだけど

度数が、次の蠍座に近い。

 

だからか

蠍座っぽい女性や美しさに

憧れがあった。

 

…と思っていたのだけれど。

 

 

本当は

自分の金星星座である

天秤座的美しさが

自分には似合わない…

自分にはふさわしくない…

自分にはおこがましい…

そういう風に捉えていたから、ということも

理由としてあるのかも。

と、思った。

 

 

だって

本当は

天秤座的な美しさ

とても好きだから。

 

 

その"好き"を

自分に許そう。

身に付けることを

自分に許そう。

そんな自分になることを

美しい自分になることを

自分に許そう。

自分を信じられるようになるには。

わたしは

進研ゼミやZ会などの

自分でやる系の勉強が苦手だな…

という意識があって。

 

計画とか戦略とか

そういうの立てるのも苦手だし

最後までやり切る!っていうのも苦手。

8割くらいまでやると

だいたいokじゃん?みたいに

飽きちゃう。

詰めが甘い。

 

そんなこともあって

自分一人で

何か新しいことに取り組むって

苦手意識があった。

 

誰かに見ててほしいな

大まかでいいから

道筋(スケジュール的にも)を作ってほしいな

そういう風に思っていた。

 

いつも

先生的な人を探してきた。

 

 

だけど

もしかしたら

そうじゃないのかも。

 

 

飽き性だったり。

好きなことしか興味ないとか。

何かに合わせる(間に合わせるとか)のではなくて

自分のペースを守りたいとか。

そういう思いがあったから

…なのかもしれない。

 

そして何より

 

自分にはできない

自分には力がない

自分が一番、自分を信用できない

そんな風に思っていたから

正解を持ってる(ように見える)他者に

先導してほしかったのかもしれない。

…と、不意に思った。

 

 

だって

人にコントロールされるの

めっちゃ嫌なんだよ?

興味ないことやれって言われても

さっぱり頭に入ってこないし。

締切に追われるのも

本当に嫌いだし。

 

飽き性で、詰めが甘いのは、

うん、確実にあるけど…(笑)

 

 

一人ぼっちになって

孤独になって

一人で抱えて取り組む…のではなくて。

 

自分のペースで

自分の選択を信じて

自分で行動していく。

主語は「わたし」。

その意味では、

「自分で自分の人生の舵をとる。」

 

 

その時必要だと思った人の手を

借りながら。

それは、

先導してもらうのではなく

わたしの背中を蹴り飛ばしてもらうとか、

得意な人や自分より知っている人に

よりよい選択肢が他にないかを

提示してもらったりすること。

 

選択権は

いつだって自分にある。

 

やるのかやらないのか。

何をするのか、何をしないのか。

決めるのは

いつだって「わたし」。

 

 

そうだ。

わたしは、それをやってこなかったんだな。

場数が少ないんだ。

だから、怖い。

自分ができる気がしないし、

何より自分を信じられないんだ。

 

 

自分が自分の選択、行動を

自分にはできると、

自分には力があると、

信じられるようになるには

 

自分で選んで、自分で行動して、

「よかった。」

「大丈夫だった。」

そう感じる経験を、場数を、

踏んでいく以外に、方法はないのかもしれない。